東洋学園大学 100周年

欠くことのできない独創的な存在に~100周年の産み出すスパークに期待して

東洋学園大学 元教授 佐藤 泉

東洋女子短期大学が千葉県に四年制大学を開設するにあたり、英語で文化人類学を教えられる人を探しているという話を知人を通して伺い、応募させて頂いた。四年制大学開学と同時に赴任するつもりでいた。

ところが、非常勤で短大で教えないかという有難いお話があり、当時の欧米文化学科の木内信敬先生(後に東洋女子短期大学学長)にもお目にかかった。英検一級優秀賞と、TOEIC高得点という珍しい履歴書で急遽、常勤での採用となり、1990(平成2)年4月2日に合同教授会、その席で3日が入学式、6~7日には箱根の合宿(オリエンテーションキャンプ)に担任として行ってもらうという驚くべき辞令を拝命した。本来なら四年制に行っても良いはずの優秀な学生が第二次ベビーブーマーで短大で学んでいた。

短大の授業や委員会活動とは別に、四年制に赴任する教員で、午後5時からの学生生活関係の規程作りが始まった。遊佐礼子先生、谷本信先生、宮地治先生(大学準備室)、田中菊子先生などがいらっしゃった。

自分の出身大学や学会のつて等を頼り、様々な大学の学生便覧を入手し、規程について議論した。委員の間では、短大の「慣習」や規程は踏襲しない、新たなものを産み出すという意識が共有されていた。

教務関係では、脇山怜先生、長谷川瑞穂先生、小金芳弘先生、宮地治先生、横山和子先生が規程作りを担当された。学生と教務関連の規程案は、宮地先生と準備室職員小原芳和氏が最後にまとめられたと記憶している。

教員も含め、構内アルコール厳禁、他大学との交流には事前に名簿提出等、若干厳しいかもしれないが、大きな事件、事故なくきたことを思うと必要だったと考える。

開学に際しては大来佐武郎氏(元外務大臣)、盛田昭夫氏(ソニー代表取締役会長)、八尋俊邦氏(三井物産相談役)、若井恒雄氏(三菱銀行頭取)から開学を祝うメッセージが寄せられた(4氏の肩書はいずれも当時のもの)。また、5月9日に第一ホテル東京ベイで行われた開学の祝賀会では当時の沼田武千葉県知事が来賓として挨拶、発信型の人材育成への期待が述べられた。

初代学長の宍戸寿雄先生は、ソニーやシャープも元は町工場から始まった。大企業を目指すのではなく、次のソニーやシャープを探せとおっしゃった。また、行方昭夫第二代学長は、史記にある「鶏口牛後」を引用し、小規模の大学で学ぶ意義を繰り返し述べられた。タイプは全く異なるお二人の教育者が言わんとされたことを改めて考えてみたい。

我々はスタートアップ企業となる種を育てることができたであろうか。台所の小さいノートパソコンで輸出入業を始めた人、中学や高校時代の友人とウェブ・デザインの会社を立ち上げた人、短大卒でも文房具の販売会社を始めた人等がいる。私が把握していない、様々な卒業生の取り組みもあろう。しかしながら、往々にして転職・退職された先生方がお持ちの卒業生の情報は集約されていない。もしかしたら、その小さな「種」と、親の自営業を引き継いだ二世経営者がコラボすれば、おもしろいシナジーが生まれるかもしれない。

100周年は自分に関係がないと思っている卒業生の方々が集まることで新しいスパークが生まれることを期待している。

皆さんの多くのPCにはインテルのCPU(中央演算装置)が入っている。このPCの心臓ともいうべき部品を製造しているアメリカの半導体大手インテルはイスラエルにも複数の開発・製造拠点を持っている。ガザ侵攻でイスラエル製品をボイコットしたくとも、自分のPCからインテルの部品を外そうという人はあまりいないであろう。小さくとも外すことのできない部品、多くの人々の身近にある製品の一部、欠くことのできない存在に東洋学園大学の輩出した人材がなってほしいし、産み出してほしいと希望している。