2020年を振り返る時、何が思い出されるだろうか。春、夏、秋、冬。それぞれのシーンで思い出されるのは、もちろんコロナ禍の一シーンなのだが、大学教育においては、誰もいないキャンパス、教室、そしてオンライン授業である。2020年を境に、オンライン授業という新たな教育方法が存在感を増していった。オンライン授業の展開は、教育活動のスタイルも内容もそして感覚も大きく変えるものであった。教員にとって、学生を前に教室でマイクを握り話をするというスタイルが、自宅で画面に向かって一人で話すという対極のスタイルに代わり、教員だけではなく自室で1人で受講する学生も戸惑った。この時まで、多数の教職員や学生にとってまったく意識のなかったオンライン授業を実施するまでの道程はなかなかの作業量と時間との戦いであった。その時、バックヤードでいったい何が起こっていたのか、今日は少し備忘録的にまとめておきたい。
本学においてオンライン教育自体は、実はその1年以上前から課題となっていた。それは、キャンパスのスペースに限りがあること、海外の大学はもちろん国内の大学でもオンライン授業への取り組みが始まってきたことなど、外部内部の両要因からオンライン授業の導入の検討に迫られた。当時、私は全学教育を担う教養教育センター長であったことから理事長からのオーダーにより検討に着手したのだが、オンライン授業≒通信教育という側面が強く意識されていた時期でもあり、各学部の教務委員会に説明を行っても積極的な導入の声はまったくなかった。そのような状況でまずは着手が重要であるとういうことを説明し、これまでも実施されてきた放送大学の授業導入をさらに強化することでスタートしていった。実はセンター内部でも、当時はオンライン授業に対して積極的な声はあまりなく、どちらかというと理屈で感情を説得するといった空気感が強かった。オンライン授業はどこかよそ事で、一応やっているといった感は否めなかった。
しかし、その空気を一変させる時がやってくる。新型コロナウイルス感染拡大が強く意識され始めた2月下旬、大学運営協議会にて理事長からオンライン授業を含むコロナ対策に対する検討の指示が表明され、センターでも具体的な方法の検討に着手した。早速、センター主任の人間科学部光川先生により模擬授業の録画配信の実験が行われ、実験場である教室にメディアセンターの松本さんも加わり検証を行った。この段階では、教室の授業を録画するスタイルが前提で、無観客試合の様相であった。つまり学生は登校できないが教員は出校して授業を教室で行って録画、それを配信するイメージである。録画も配信も誰もやったことがなく、まずはその手順を理解することが前提で、次に何が適切な授業スタイルなのかを考えるといった暗中模索の段階であった。感染状況も少し落ち着いていた3月20日の卒業式が過ぎ、一気に緊張が高まったのは小池都知事のロックダウン発言であった。2月下旬から3月上旬に高まった緊張感が中旬にやや緩み、感染者の増加、著名人の罹患に加えこの発言で一気に事態が悪化していき大きな不安感ができ始める。各大学は「入学式は対面でやるか、そもそも実施するか」など、どのように新年度を迎えるかについて議論を重ねている時期だったのだが、このときから緊迫感が急速に高まった。この頃、一貫してオピニオンリーダーというかペースメーカーになっていたのは早稲田大学である。早稲田大学のオンライン授業のスタイル、入学式の時期や方式、授業の開始時期などがメディアで発表されると、それに合わせて他校も行動するようになっていた。我々もそこを参考にしていた。早稲田大学は前年にすでに動画で授業を収録する形態を実施済みだったので、オンライン授業への移行は実にスムーズに見えた。これはLMS(学習管理システム Learning Management System)を導入していた他大学も同様で、経験値がある、あるいは配信システムがある大学は、その活用によって事態を打開する方法が比較的見えていた。しかし、本学には、LMSの簡易的な機能がわずかに備わっていたTG-Navi(学生用ポータルサイト)はあったが本格的なLMSは未導入だったので、どのように実施するかについてはかなり工夫が必要であった。
ロックダウン発言以降は、そもそも外出しないことが前提の空気感に変わっていったので、教員も学生も自宅で授業を実施するということが前提になりつつあった。こうなると、今までのイメージが完全に崩れて、根本的にオンライン授業を考え直さないといけなくなった。「学生も教員も大学に来ない」。システム、授業方式、質問対応、危機管理など、いつまで続くかわからないこの先の授業の運営全体の構築が課題となったのである。
3月末から4月上旬にかけてまず授業方式を確定させた。通信量が大きいライブ配信は排除、課題提示方式とオンデマンド方式が選択肢となりその両者を採用した。「教員が90分教壇に立つ」発想から「90分の授業を成立させる」発想に変わった瞬間である。これまでの実験から、オンデマンドの配信上限を45分程度とすることで通信量が200〜400メガバイト程度に収まることが確認できていたので、残りの時間で授業内容の課題を解かせる形式が作られた。課題提示方式に加えて一つのオンライン授業の雛形の誕生である。パワーポイントに音声を吹き込みサーバーにアップ、それを学生が閲覧し課題を解くスタイルができあがった。
次に、学生の受講環境の整備の検討に移った。PCでの受講が想起されるところ、スマートフォンでも受講できないかという検討を行った。このあたりは、人間科学部の澁谷先生が率先して行った。スマートフォンの活用は、どの学生も受講できるということが重要であるという視点から必須であると捉えたからである。課題を実施するために必要なキーボードとスマートフォンとの接続実験を行い、資料の印刷ではプリンターのない家庭でもコンビニで実施できるように作業動線を検討するなど、学生側の視点での検討が同時並行で行われていった。
中旬になると、どのようにスムーズに行うかという手順の問題に本格的にとりかかった。これらをマニュアルに落とし込み、学生用と教員用の2種類のマニュアルを用意する必要があった。ここで、メディアセンターの松本さんの斬新な発想が作業を大きく進めることになる。それは、マニュアルというと紙を想像するところ、「動画にしましょう」という一言であった。作業そのものを動画にすることで、読んで理解するのではなく、見てマネをするというものなので、学生も教員も非常にやりやすくなった。動画マニュアルの誕生である。実は楽になったのは作成側でもあり、紙で作るよりも作業を録画するほうが時間も労力も大幅に負担が下がり、生産性が高まって内容もより充実しかつ短期に大量に作成することができた。
次に質問対策と危機管理であるが、これは思ったよりも検討に時間が必要であった。というのは、メディアセンターで対応できる人数には限りがあるので、質問が集中するのをいかに避けるかが課題となった。まず、教員のメディアセンターへの問い合わせを極力少なくすることが求められた。学生は自分たちで問題を解決することができない場合、大学が助けなければならない。したがって、ここへの対応は最優先であるので、リソースは基本的にここに割くことにした。一方で、教員は「自助共助」つまりマニュアルを見てわからなければ、「同僚の間で助け合う」ことをお願いしようということになった。非常勤講師はともかく少なくとも専任教員は身内で助け合って、とにかく「メディアセンターに電話がいかない」形を心がけた。危機管理では、とにかく迅速に対応ができるように人的体制を整えた。といっても、人数を増やすことはできないので、授業時間帯に対応ができるように人を割くということである。「少ない資源をどう効率的に運用するか」。本学にコロナが突きつけた課題はまさにこれであった。答えは、ピークを作らず、そこにあるパーツで部品を作る、まさに「アポロ13号」のようであった。
ここまでの作業を1ヶ月、文字通り部屋で缶詰になって作業を行った。この時、全般の作業を大学全体で調整してくださったのが現代経営学部の大村副学長(当時)だった。毎日オンラインミーティングを重ねて、学長サイドへの情報周知と作業了解など、円滑な作業をしっかり支えてくださったのが大村先生であった。メディアセンターの松本さんとの基本的な構造体を作り上げていくことに膨大な時間が割かれたが、同時並行で光川先生を始めとする各学部教務部長の尽力も大きく、どこかが違うことを言い出すようなことは一切なく、「授業を行う」という一点に向かって関係者が4月は一致して突っ走っていった。
ガイダンスの状況も円滑、履修登録の数は過去最高と、学生の協力もすばらしく、他大学の混乱をよそに5月、授業は始まっていった。
一人ひとりの教員のこの頃の負担はとてつもないものだったと推察する。画面に向かって一人で話をするというのは考えられない作業だったからである。「一人で授業をする」というのがまさに未体験ゾーンであり、今となってはごくありふれた光景になってはいるが、これはそれまでの常識がひっくり返った感じがする。そして、学生からのリアクションに一つひとつ答えていく重みも、これまでにないものであったと振り返る。「この学生はどんな気持ちで今授業をうけているのだろうか」と自室で考えるわけだが、それにコメントを返す感覚はまさにラジオの復活に思えた。オンデマンドのパワーポイントの冒頭に質問に答える時間を設けたのだが、その回答をする感じが寄せられたはがきを読み上げるラジオ番組のようで、少しだけ学生との絆を感じる瞬間であった。
緊急事態宣言が解かれ秋には教室にようやく戻って来るわけだが、作業としては継続していた。大学内にオンライン授業の配信のための部屋を構築するなど、オンライン授業も進化を始めた。英語教員を中心にライブ授業も交えた様々なオンライン授業が展開され、その後のより洗練されたオンライン授業へと進化を始めていった。
文部科学省はコロナ対策としてのオンライン授業を捨て対面への移行を促していく一方で、新しい教育方法としてのオンライン授業を別の次元では推奨していった。各大学は力があるところはその方針にのっかり、そうでないところはコロナ以前に向かっていったように見えるが、実際はそうではない。学生も教員もPCスキルは大きく向上し、よりLMSなどを活用したハイブリッドな授業が展開されるようになった。本学でもその流れを進めていく次世代教育推進室が翌年に設置され、私もその責任者となりさらなるオンライン授業の活用を検討することとなった。
オンライン授業はコロナ対策の臨時の措置ではない。対面授業が優っていてオンライン授業が劣っているということはない。世界では途上国を中心にオンライン授業が一層活用され、教育の普及の一端を担っている。本学もその点では変わらない。
今2020年春を思い返すと、あの4月は忘れられない月である。学内の様々なところでドラマがあったはずである。オンライン授業の開始の影にあったドラマもその一つにすぎないが、できるパーツでできるものを作り上げ目的を達成するという充実感は、苦しい時期のわずかながらの安らぎである。