東洋学園大学 100周年

学生募集の現場から ―「昔は良かった」のその先へ―

入試広報センター 入試室 課長 岡本育也

テーマを入試制度として、私の知り得る2007年から現在(2026年3月)までの入試(入学者選抜)、学生募集に関して、携わり、体験し、思ったこと、感じたことなどを記したい。

私は他大学での学務系事務経験を経て、2007年に東洋学園大学に入職した。それ以降現在まで一貫して入試、学生募集関連部署に所属し続けている。学内を見渡しても、20年にもわたり入試、学生募集に関わり続けている職員は他にいないようである。

1.昔は良かった?

2007年当時から現在に至るまで、2018、2019年度の2年間を除き、本学ではどこかの学部で定員が満たされない状況が続いている。つまり学生募集は常に難局に直面し続けてきたと言える。

ここ数年は私よりも年長者が少なくなってきたこともあるのか、昔のことをことさら語る人は少なくなった。しかし入職直後から先輩教職員が繰り返し語ってくれたのは、「短大時代は受験者が多く、入学難易度も高く、卒業時の就職も大手優良企業が多かった」といった話であった。当時から大学の学生募集状況を懸念し、「学生募集の改善が大学発展の鍵」と考える人は少なくなかった。

今振り返ると、私自身、学生募集に携わり続けてきて、無為に過ごしてきたわけではないと思いたいが、学生募集の向上はそれだけを目的にしても容易には実現しない。ましてやそれを維持することはさらに困難であることも知っている。長い年月を経ても状況が大きく変わっていないことも事実であり、かつて聞いた「昔は良かった」という言葉は単なる回顧バイアスだったのかもしれない。つまり、学園100周年を記念する寄稿文にはそぐわないが、「昔も決して容易ではなかった」ということになるのではないだろうか。

2.オープンキャンパス

そのような状況下でどのような学生募集の取り組みを行ってきたのかと言えば、2007年当時から継続しているものの一つがオープンキャンパスである。もちろん同じことを漫然と続けてきたわけではないが、高校生やその保護者に大学を見て、体験していただく取り組みを継続してきた。

2015年までは流山キャンパスでの募集も行っていたため、本郷、流山の二つのキャンパスでオープンキャンパスを実施していた。一日で両キャンパスを巡り体験するバスツアーを敢行したこともあれば、ラジオ番組の収録、大学ゆかりの著名人によるトークショーを企画したこともあった。いずれも、高校生にまず足を運んでもらうための施策であった。

これまでのオープンキャンパスで特に印象に残っているのは、「自分たちの発電した電気でかき氷を作ろう!」という企画である。高校生の夏休み期間に合わせ、自転車型発電機で発電し、かき氷機を回して来場者に振る舞うという、2010年代の環境配慮意識を踏まえた企画であった。結果としてはこの発電機の発電効率が極めて低く、自転車を漕ぐ労力に加え猛暑も相まって、担当職員や学生が次々と疲弊し、脱落していった。「普通に手回しのかき氷機の方が良かったのではないか」というのはもっともだが、来場者からはかき氷そのものは好評であった。その後この企画が行われていないことが評価の全てであるが、年月が経つと笑って振り返ることができ、当時を共に過ごした人々と共有できた良い経験であったと思う。人的にも、費用的にもコストをかけておきながら不謹慎と言われそうではあるが、当時は至極真剣に取り組み、学生募集効果が皆無だった訳ではないはずなので、お許し願いたい。

今後もオープンキャンパスは学生募集において重要な役割を担い続けるだろう。しかし、情報収集方法や大学選び、学び方そのものが多様化している現在、そう遠くない将来、新たな、あるいは複合的な学生募集メディアが登場しても何ら不思議ではなく、個人的にはそれをどこかで心待ちにしてもいる。

3.入試(入学者選抜)

そのような学生募集状況の中で、入試は常に経営的な側面と教育的な側面の双方を見据えながら、その在り方を模索し続けてきたように思う。ここまで文章を進めておいて何をか言わんやではあるが、本来大学には教育と研究という使命があり、その成果を社会へ還元し貢献せよと法定義されている。それらを享受する学生を選抜するために学生募集活動を行う訳であるが、この学生募集の方が入試制度を語る際には大きな課題となってしまっているため、入試自体が形骸化、あるいは目的が見失われがちと言えよう。文部科学省が毎年、大学入学者選抜実施要項においてその遵守を呼びかけていること自体、その証明となるが、理想と現実の間で多くの大学が難しい舵取りを迫られていると言えよう。

つまり、多くの志願者を集めなければ、不合格者はなく、本来の選抜は機能しなくなるという現実に直面する。あるいは志願者を多く集められないまま、選抜を機能させると入学生が少なくなり、定員を下回ることになる。そこで最初の「学生募集の改善が大学発展の鍵」という考えが人々の口に上ることになる。

少子化、進学率の上昇もあり、日本の大学入試全体が学校推薦型選抜や総合型選抜に傾いてきたのも必然であるため(文部科学省の統計では2025年の大学入学者の内53.6%が学校推薦型選抜、総合型選抜となっている)、それに従って大学もこれらの選抜方式に傾注せざるを得ず、入試の早期化を加速度的に推し進めている。本学でも試行錯誤を重ねており、近年(2024年度より)はオープンキャンパスのプログラム参加との組み合わせたPBL(課題解決型学習)方式を当該総合型選抜に導入し、2026年現在、最も受験生が多い受験方式となっている。

4.学生募集と大学進学

入職して1年ほど経った頃のこと、私は学生募集の文脈に絡め、入試広報に携わる方に尋ねたことがある。「粗悪な商品でも売ることができるのが、優れた営業職なのか」と。大手広告代理店出身で当時広報を統括していた人物は「そうだ」と即答。一方で、当時私と一緒に学生募集に携わり、現在は他大学で入試責任者を務めている人物は「それは違う」と答えた。二人が同時に答え、顔を見合わせて苦笑いしていた場面を今でもよく覚えている。「それは違う」と答えた人物はその後で私に「学生募集は物販とは違いますよ」と耳打ちしてくれた。

これまで学生募集、入学者選抜に従事してきた中で、順調に進んでいると実感できる時期は決して多くなかった。うまくいっても、うまくいかなくても、その原因究明が十分になされないまま施策が繰り返されることも多かった。大学進学率が六割を超える現在、大学に進学する意味そのものが変容していることに、気付かなければならない。

先日、ある教員が席上放った「受験生がどうしても本学に入りたいということが言えない」という嘆きは、今後の学生募集を考える上で肝要なことであると感じた。昔、受験生はどうしてもその大学に入りたいという意思を伝えることがとても重要な事であったが、今後は大学の全入、進学率の向上を考えると、必ずしもそうではなくなるということである。中学生が高等学校へ進学することとそう変わらない意識で大学への進学を考えているようになっているとすれば、大学へ進学することにどれほどのモチベーションが持てるというのだろうか。

5.次の周年記念に向けて

最後に、今般この寄稿の依頼を受けた当初、中途採用者である私が、創立100周年記念への寄稿など到底受けられるものではないのではないかと悩んだ。新卒採用者でもなく、大学(四年制)の黎明期を知るわけでもない自分に何が語れるのかと考え続けた。けれども、ある学部の教授会で、私より本学での勤務年数が長い教員が2人しかいないことに気付いた。その時、驚きと同時に、いつまでも新参者の顔をしてはいられない年齢と立場になったとの認識も芽生えた。

考えてみれば、創立された100年前を実際に知る人間は現在誰もいない。100年の歴史とは、無数の個人の限られた経験の積み重ねである。その端の更に一部を担ってきたに過ぎないとしても、私なりに語れることはあるのではないかと思うに至った。

本来はこれまでの思い出的なものを求められているようには感じながらも散漫な文章となってしまったことを反省し、お詫びしたい。しかし今回このご依頼をいただいたお陰で凡そ20年にも及ぶ自分の仕事、その際にどのような想いで業務を遂行してきたかを整理することができ、改めてこのような機会を与えてくださった編纂委員諸氏に御礼を申し上げないわけにはいかない。

大学の学生募集は、単年で成果が出ても継続しなければ衰退する。刹那的に急いて羊頭狗肉を重ねれば、結果として退学者が増えるだけである。新参者と思っていた自分がいつの間にか年長者となり、若年者に昔の話をしている。

私は入職時に耳にした「昔は良かった」という言葉をそのまま繰り返すのではなく、どの時代にも課題があり、それぞれの時代の教職員が向き合ってきたのだと伝えたい。この後の入試に携わる人物が年長者となった時、「今は良くなった」と後輩たちに語れるようになることを心より期待している。