東洋学園大学 100周年

教養教育センターのはじまり

東洋学園大学 人間科学部 学部長初代センター長 阿部一

2006(平成18)年に発足した東洋学園大学教養教育センターは、教養教育に係る教育課程の研究開発を行う研究施設であるとともに、1、2年次を主たる対象とした本学3学部共通の基本教育科目の実施母体でもある。その管轄科目は、1年次必修の教養基礎演習、英語表現科目を除くフランス語やハングルなどの初習外国語科目・日本語関連科目・情報関連科目からなる表現伝達科目、そしていわゆる一般教養科目にあたる教養基礎科目、さらにはキャリア教育科目と広範にわたる。
このように管轄の広いセンターの開設にあたって大きなきっかけとなったのが、教養基礎演習の共通プログラムの開発であった。流山キャンパスに置かれた2000年代前半の東洋学園大学人文学部は、入学者の減少とともに、中途退学者の増加が大きな問題となっていた。その解決策として必要なのは、本学の理念にも掲げられている「面倒見のよい大学」の実践であり、その第一歩として必須と考えられたのが、既設の1年次必修の演習科目である「教養基礎演習」向けに共通プログラムを開発することであった。それ以前から「教養基礎演習」という必修科目は存在しており、それを担当する専任教員が学生指導等にも携わっていたが、その教育内容は担当の教員の裁量にまかされていた。そのため、クラスによっては学生の不満が高まることもあり、それが1年次の中退率の高さ(学科によっては15%を超える年もあった)のひとつの要因ではないかと考えられた。したがって、そのプログラムを共通化することで初年次教育のレベルを底上げするとともに、その内容に学生をクラスに定着させることにつながるような工夫をこらすことで退学率を下げようとしたのである。
教養基礎演習のプログラム開発のために、2005年に「教養基礎演習ワーキンググループ」が設置され、当時人文学部の教務委員長であった自分がその責任者となって、大きな枠組みについて議論するとともに、さまざまなアイデアを検討した。プログラム開発にあたって強く意識したのは、以下の2点であった。一つ目は、大学での学びに必要なスキルを学ぶことを通じて、学生に自己肯定感をもってもらいたいということであった。二つ目はクラスの学生同士に少しでも早く仲良くなってもらいたいということであった。一つ目の目的のために導入したのが、日本語でのプレゼンであった。外国語と異なり母語を話すことは誰にでもできることであり、そこに型を与えて構成を共通化すればプレゼンは取り組みやすくなる。自分で書いたものを人前でしっかりプレゼンすることは、大きな成功体験となるだろうと考えたのである。二つ目の目的のために導入したのが、いわゆる流山散策であった。流山キャンパスの周辺がどのような環境なのかを知ってもらいたいというのが表向きの目的ではあったが、真の目的は、学生を外に連れ出してクラスみんなで一緒に歩いてもらい、その中で少しでもコミュニケーションをとってもらいたいというものであった。

成功体験をもってもらうためのプレゼンは、センター開設初年度からプレゼンTOGAKUという学部プレゼン大会に結びつける形で実施することになった。プレゼンTOGAKUのアイデアは、2年次に設置を検討していた専門基礎演習のプログラム開発のためにいくつかの大学を見学する中で生まれた。専門基礎演習のプログラムに関するアイデアに、当時注目を集め始めていたキャリア教育的な内容を組み入れてはどうかというものがあった。そこで、実践事例を参考にしようと、ワーキンググループのメンバーで各地の大学を訪問した中に、京都の龍谷大学があった。キャリア教育で有名な先生の話を聞く中で、龍谷大学では毎年プレゼンドラゴンというビジネスプレゼン大会が開催されており、その教育効果がきわめて高いということを教えていただいた。これを一般化することができないかと考えたのが、プレゼンTOGAKUである。これは、型に基づくプレゼン内容の執筆に始まり、クラス内でのプレゼン大会を経て、最後にクラス代表による全体大会を開催するというもので、現在に至るまで毎年行われ、本学の教養教育の基盤であるとともに柱ともなっている。
学生をクラスに定着させるための手段でもあった流山散策は、地図をもってあらかじめ設定されたコースをみんなで歩こうというものであった。コースは、地理学を専門とする自分が講義で流山について紹介するために周辺を歩き回って得た情報をもとに設定した。大学のある低地との対比で、大学から見える大きな森が実は台地の斜面であり、そこを登ると畑の広がる台地が広がっているということが体験できるコースとなっていた。90分の授業内で大学に戻ってくる必要があったため、学生がゆっくり歩くことを想定して距離を設定する必要があった。また、一度に全クラスを外に出すことは地域の迷惑となりかねないので、毎週2クラス程度で実施することにした。そのため、実施が学期の後半となったクラスからは、早くやれたらもっと早くみんなと仲良しになれたのにという不満が聞かれたりもした。これは、外を歩きながら学生同士でコミュニケーションをとってもらうという真の目的が果たされている証でもあった。
流山散策に端的に表れているように、センターによる教養基礎演習のプログラムはまず人文学部向けに開発された。そのため、現代経営学部では共通プログラムは採用されず、内容は教員にまかされていた。ただ、ある程度の共通化は必要であるという意識は強まったため、特定の教員が実践していたプログラムが参考モデルとして示されるようになった。その後、現代経営学部でも学部内で共通プログラムが運用されるようになった。学部によってプログラムの内容に違いが生じることはありうるが、そうであっても学部内では共通したものが使われるべきである。そもそも個々の教員に内容が任されていた弊害を是正するために、共通プログラムが生まれたからである。教養基礎演習を担当することは、教員にとってアクティブラーニングの実践の訓練ともなっている。このプログラムを運用し始めた際、当時の一ノ渡学長から言われたのが、これは教員にとってのFDでもあるという言葉であった。その意味でも、教養教育センターにとって、教養基礎演習の共通プログラムを運用することは最も重要な使命である。
教養教育は、英語教育とともに東洋学園大学の教育の大きな柱であった。当時の江澤理事長はその強化のためにセンターを開設した。教養基礎演習ワーキンググループの活動はその動きと連動したものであったが、センターの役割は教養基礎演習の運用も含め、多岐にわたるものであった。設立当初、教養教育センターは3つの柱を掲げていた。一つ目は基礎演習プログラムの開発と運用であり、1年次の教養基礎演習はもちろん、2年次用の専門基礎演習についてもプログラム内容の検討を進めていた。二つ目は日本語・初習外国語プログラムの開発と運用であり、日本語表現法のプログラム内容の検討や、初習外国語の種類を増やす案が議論された。三つ目が教養基礎科目の授業法改善であり、授業法のヒント集や科目ごとの教科書の作成が課題としてあげられていた。この中で最も力を入れたのが教養基礎演習のプログラムであり、その中核にあったのがプレゼンTOGAKUであった。初代センター長としての2年間で、仲間の教員とともにプレゼンTOGAKUを軌道にのせることができたことが、今に至るまで大きな誇りである。