2017年度前期展「創立期の東洋女子歯科医専 II ―初の女子歯科医専、女子初の文部大臣指定校」

震災前の元町校舎(現 本郷1号館)にて、各種学校から旧制専門学校(正規高等教育機関)に昇格して初の1922(大正11)年度入学生。着物(私服)姿から、入学直後か休日に撮影した寄宿生と思われる。

彼女らは4年半後の1926(同15)年11月5日に卒業する際、直前に文部大臣指定認可を受けた東洋女子歯科医学専門学校の指定後1回生となった。指定認可にあたり、ステークホルダーとして彼女ら(及び父兄会)の果たした役割は、新たな理事団となった明華女子歯科医専後援会(その責任者は後に創立者とされる宇田尚)、主務官庁(文部省歯科医師試験付属病院)と同等に大きかった。

次の写真とも所蔵:成家淑子様(指定後1回生・故成家 玉 なるや たま)

2016年 創立90周年/2017年 前身校開校100周年 記念シリーズ4
創立期の東洋女子歯科医専II ―初の女子歯科医専、女子初の文部大臣指定校―

会場 東洋学園大学本郷キャンパス4号館6階 東洋学園史料室
アクセス
会期 2017年5月22日(月)~11月17日(金)
時間  月~金(平日) 9時30分~16時30分
休館 土日祝、8月10日(木)、14~18日(月~金)、30日(水)
観覧・解説書(本文44ページ)無料

明華時代の制服を着用した東洋女子歯科医専指定後1回生・成家 玉

指定後1回生は二度の修業年限延長を経て在学した4年6ヶ月の過半を明華女子歯科医学専門学校の生徒として過ごし、校名が東洋に改称されたのは卒業の24日前である。

ブリムハットの制帽は校名変更から程なく、新たな校章(TDC)をあしらった房つきの角帽に改められた。

明華女子歯科医学専門学校から文部大臣指定・東洋女子歯科医学専門学校へ

総力戦となった第一次世界大戦で女性が労働力として動員された欧米諸国の影響、大正自由主義の空気を反映し、大正期は日本でも女性の社会参加が進み始めた時代です。主要交戦国は科学戦を経験し、その影響を受けた日本の女子教育も良妻賢母主義から科学的教育の重視へと変化が生じていました。1919(大正8)年から1940(昭和15)年の間に設立された府県立(旧制)専門学校8校のうち6校、私立57校中28校が女子専門学校です。

また、57校の私立専門学校の内、医歯薬系が20校を占め、医学・歯科教育も大きな転機を迎えていました。明治期の私立医学校は学歴を問わない医術開業試験・同歯科試験の受験予備校でしたが、1903(明治36)年の専門学校令と1906(同39)年の医師法・歯科医師法、(文部大臣)指定規則は、私学を高等教育に取り込む一方、基準に満たないものを淘汰しました。歯科における検定から高等教育(専門学校)への制度転換は大正末に完了します。医学教育は1918(大正7)年の大学令により、私立大学、単科大学で行うことも可能となりました。

本学の創立はこのような女性の社会進出、高等教育の普及、医学・歯科教育の水準向上という、三つの大きな流れの中に位置づけられます。本学の前身、明華女子歯科医学講習所は検定試験の受験予備校として1917(大正6)年9月12日に開校し、翌1918(同7)年に各種学校の明華女子歯科医学校として認可されました。

今期は1921(同10)年末の専門学校昇格と財団法人設立から、関東大震災の被災と復興を経て、1926(同15)年11月4日の「創立」、すなわち文部大臣指定認可と“東洋”改称まで、激動の5年間をとり上げます。

1930(昭和5)年度入学志願者用『学校一覧 文部大臣指定 東洋女子歯科医学専門学校』

本学は戦前に指定専門学校の水準に達した歯科教育機関としては最後発ながら、女子の専門学校認可、文部大臣指定では本邦初となった。以後、次第に指定認可を得た1926(大正15)年11月4日を創立記念日と認識するようになる。

この時点では創立年を明華女子歯科医学校が設立された1918(大正7)年としており、前身校(明華)との関連性が切れていない。

校長は東洋女子歯科医専に改称後の第二代青山幸宜。最後の郡上藩主で華族実業家、“創立者”宇田尚のビジネスパートナーであった。