2014年度後期展「学長・文相 愛知揆一 1964年オリンピック東京大会資料」
1964(昭和39)年の第18回オリンピック東京大会開催50周年にあたり、大会当時の文部大臣で、文相就任直前まで本学学長を務めた愛知揆一にまつわる同大会資料約50点を公開します。これらの資料は大学史に直接関係しないため通常は非公開です。
大学史の常設展を主体としていますので、オリンピック資料は関連ミニ企画としてご覧いただくことになります。スペースの関係から全てを展示することはできませんが、全容はパネルと解説書でご覧いただけます。
会場 | 東洋学園大学本郷キャンパス4号館6階 東洋学園史料室 |
会期 | 2014年10月10日(金)~2015年4月10日(金) |
時間 |
月~金(平日) 9時30分~16時30分 年末年始の事務閉鎖期間は閉館 ※11月3日・24日の祝日(月曜)は開館 観覧、解説書(本文40頁)とも無料 |
*展示の内容などについては変更する場合があります。
愛知揆一と東洋学園
愛知揆一はオリンピック後の佐藤内閣における外相、田中内閣の蔵相をはじめ、法相、文相、通産相、内閣官房長官などの主要閣僚を歴任しました。一方、私生活では東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省に入省して5年後の1936年、本学創立者の宇田 尚(うだひさし 教育家・東洋思想研究者・実業家)の次女と結婚しています。このため1937年から本学園(当時は財団法人東洋女子歯科医学専門学校)の協議員、次いで理事として学校運営に携わってきました。
旧制東洋女子歯科医専は本邦に二校しかない女子の歯科医師養成校として、高等教育に独自の地位を築きました。しかし、同校は戦災と占領期の学制・医療制度改革によって1950年に廃校となり、直後に後継として設置したのが東洋女子短期大学(英語科)です。
愛知揆一は1956年、いまだ脆弱だった同短大の第二代学長に就任すると、1964年に退任するまでの通算7年間で、堅実な語学系女子短大としての評価を得るまでに育て上げました。学長退任は第三次池田改造内閣の文部大臣・科学技術庁長官への就任によるものです。
愛知揆一と1964年東京オリンピック資料
愛知揆一はオリンピック実施を所管する文部省の長として、財団法人オリンピック東京大会組織委員会の理事に就任しました。このため組織委員IDカード、同識章バッヂ、同記念アルバム、組織委員会用の開閉会式実施要領、国際オリンピック委員会総会開会式プログラムなど、一般にはあまり見ない資料を含みます。
公式報告書や記録、刊行物、記念品には日本文化を紹介する各種関連展示、公演関係が含まれます。東京大会では従来のスポーツ関連芸術展を改め、伝統文化の紹介に力が注がれました。アジア初の五輪開催によって国際社会への復帰をアピールするこの機会に、世界に日本を知らしめたいという当時の熱意、戦後封じられてきた国民意識の高揚が伝わります。
聖火トーチ(®日本工機(株))、五輪旗、組織委員会記念のプレートがつく超小型テレビなど実物資料も目を引くところです。
大学公式ウェブサイト「お知らせ」10/10 後期特集展「学長・文相 愛知揆一 1964年オリンピック東京大会資料」