2021年9月28日 寄贈

写真は受贈した1932(昭和7)年卒、指定後7回生の卒業アルバム表紙です。これまで未発見でした。

旧蔵者は教育熱心な旧新庄藩士の家に生まれ、旧制山形県立新庄高等女学校を経て東洋女子歯科医専本科・専攻科を卒業後、東京市豊島区巣鴨で開業、戦後は郷里の山形県新庄市に戻って歯科医業を続けましたが1955(昭和30)年に42歳で他界されたと伺いました。ご寄贈下さった長女の折居様、孫の山本様とのやりとりから、代々の教育熱心という同家の家風が感じられました。戦前に理系の高等教育へ進んだ子女を輩出した家の典型と思います。

指定後7回生卒業直後の校友会誌は卒業旅行への言及を欠いていましたが、アルバムには旅行の記録があり、また一つ空白を埋めることができました。

巻末には卒業式当日撮影の写真プリントが添付されています。これも初見、旧蔵者は当日、何らかの代表だったと推察されます。

冒頭1字不明(定冠詞か) ?ur Erinnerung「思い出」。