2021年12月8日 寄贈

ご寄贈下さった小林様の母である旧蔵者は福島県西白河郡白河町で医師の家に生まれ、敗色濃い1944(昭和19)年に東洋女子歯科医専へ入学しました。2年次進級から間もなく1945年4月13日深夜~14日未明の第2回大空襲で本学は全焼、寮生だった旧蔵者はおそらくこの防空鉄帽を着用して神田駿河台のニコライ堂を目指し避難したという口承でした。

これまでの記録、証言には訓練通り消火活動を試みたものの火勢に圧倒され、土蔵が焼け残った湯島天神下の宇田校長邸に避難した人々、四谷清水谷方面に逃れて三晩野宿を続けたという人など、寮生はいずれのケースも最終的に湯島へ集合し、そこで本郷区の罹災証明書を交付され無賃輸送で郷里へ戻ったそうです。極限状況の記録に新たな事実と実物資料が加わりました。

医師の父は姉を医師(東京女子医専卒業)、妹(本人)を歯科医師にと考えての進学でしたが、父は終戦後の東京の治安悪化を憂い、娘の学業継続を断念したそうです。旧蔵者の没後、白河の家の蔵を解体したところ、この防空鉄帽が出てきたそうです。戦後76年間、存在を忘れられていたため、保存状態は極めて良好でインナーと顎紐も備わっています。

姉妹のご子孫は医学などで活躍されており、9月28日記事と同様、教育熱心な医家の典型と思います。

正面のマルに「東洋女歯」、側面の個体番号13とも手書き。筆跡は女性(学生か卒業生の助手あたり)と思われます。