2022年12月2日 寄贈
旧所蔵者の鷹野裕子先生は1946(昭和21)年3月、千葉県立東金高等女学校(現県立東金高等学校)卒業。同年6月、東洋女子歯科医学専門学校入学。6月の入学は戦災による津田沼移転のための遅れです。同校の新入生はこれが最後、翌47年度の募集は特設旧制東洋高等学校(理科乙・共学)になります。
九十九里浜に近い生家から津田沼校舎に通学し、土地柄食糧が豊富なので鞄に米を入れ、貧弱な食事に悩む寮の級友に分け与えました。学生の通学鞄は経済警察の検査対象外だったそうです。
1950年3月に本郷校舎(再建48年11月)で卒業し丸ノ内の駐留軍病院に勤務、1958年に医師と結婚、川崎市で同窓の歯科医師と歯科診療所を共同経営、1972年から95年まで川崎市保健所に勤務、地域に貢献し続けました。退職から間もなく1997年他界。
ご遺族は鈴木彧子先生(指定後23回)による朝日新聞「声」投稿「女性の歯科医生んだ「母校」」(2005年)を読み、故母堂の母校として本学を知ったと聞きました。鈴木先生ご投稿の影響の大きさを改めて認識しました。
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旧制最後の卒業証書。校長従四位勲四等医学博士馬渡一得は現東洋学園理事長愛知太郎の母方の祖父です。*一部加工しました。 |