月報Monthly report

2013年度

2013年8月7日

旧制東洋女子歯科医学専門学校19回生・秋山幸先生ご寄贈・所蔵資料保存納品(マイクロフィルム・電子媒体、複製本)。

以下の資料の保存を(株)ニチマイに委託し、本日納品されました。

  1. 明華女子歯科医学校第1回卒業アルバム『思ひで 卒業紀念』 1920(大正9)年
  2. 秋山家アルバム5点123コマ 1904(明治37)~1961(昭和36)年

1はB5版横、片面印刷21ページ。秋山幸先生の母堂秋山みよ先生が明華女子歯科医学校第1回卒業生として所蔵していた、文部大臣指定・校名改称前に遡る真の本学初卒業アルバム。関東大震災の際も大切に守られたものと伺いました。戦災も免れ、今日まで秋山家に伝えられてきたものをご寄贈下さったものです。副本を2部作成し、1部を秋山家にお納めしました(9月6日)。

2はご厚意に対するお返しとして、カラー撮影・DVD化のみ行いました。秋山歯科医院の様子、ご家族で医業に携わっていた方、同期の友人早川(旧姓:尾神)ハルコ先生と歯科医師の夫君、明華設立者香山明のその後などを選び、データでいただきました。

資料についての詳細は以下をご参照下さい。

6月25日 秋山幸先生第2回訪問調査

3月25日のご来室と5月23日の第1回訪問調査へのリンクもあります。

表紙。東洋学園としての公式創立年は1926(大正15)年ですが、1917~18(大正6~7)年にかけて入学し、1919(大正8)年に卒業した前身校明華女歯の1回生卒業アルバムです。
奥付の発行日は1920(大正9)年6月となっていますが、本文によれば卒業は前年の1919年12月です。未認可の明華女子歯科医学講習所として発足したのが1917(大正6)年9月12日ですので、2年3ヶ月で卒業したことになります。
秋山家では秋山みよの入学は1918年と伝わり、講習所の修業年限は6ヶ月、1918年2月に歯科医学校として認可され1年、1919年(実施は1920年からか?)には3年に延長されています(1924年に4年、1926年より戦時短縮まで修業年限4年6ヶ月で定着)。修業期間は当初、かなり流動的だったと思われます。
いずれにせよ2年程度で歯科医術開業試験に合格したのは驚異的です。本書に掲載された卒業生19名中、まず秋山みよら3名が合格し、1921年の専門学校設置認可申請書では修業年限1年制当時の卒業生35名中、国家試験(学説・実地)21名、学説試験のみ6名の合格者を出したと記されています。優秀な卒業生を輩出することで入学志願者も順調に増加していきます。