2016年度
2016年10月22~23日
往訪:大分県中津市、川嶌整形外科病院(理事長:川嶌眞人先生)。川嶌メモリアルミュージアムなどを見学。
社会医療法人玄真堂川嶌整形外科病院理事長・川嶌眞人先生の故母堂は本学(東洋女子歯科医学専門学校)指定後6回生・川嶌ミツヱ先生(1909~2011)です。川嶌先生はまた、「蘭学の里」中津にあって医学史に造詣が深く、日本医史学会理事を務められています。この関係から本学と当室に格別のご厚意を寄せて下さっており、これまでも度々交流をもっています。
参考:2010年11月12日
直近:2016年1月8日
それぞれ、以前の記事へリンクがあります。
第23回日本歯科医学会総会(福岡)は23日まで続きますが、ポスターセッション1終了後、大分県中津市に移動し、17時から川嶌眞人先生が主催する第24回マンダラゲの会懇親会に参加しました。同会では日中、医史学講演会(テーマ「田原淳」)、大江医家史料館薬草園の手入れ、採種を行っています。懇親会は場所を移し、市内八面山麓の金色鉱泉でした。
同日は川嶌先生の周到な手配により、同鉱泉の離れに宿させていただきました。
23日は前日「不整脈に対する最新治療 ~高周波ホットバルーンカテーテル~」を講演された神奈川県の葉山ハートセンター副院長・佐竹修太郎先生、大分合同新聞の記者さんとともに川嶌先生のご案内で八面山に登り、先の大戦の戦跡を見学、その後、川嶌整形外科病院に設置されている川嶌メモリアルミュージアムと市内医学史跡を見学しました。
ミュージアムは2014年に新病棟が竣工した際、既存病棟を活用して設置されました。2010年の訪問時にはなかったので初見になります。展示構成は中津の蘭学・医学史資料、川嶌家資料、先生のご専門である潜水病関係資料、海外との学術交流、途上国支援などの業績からなり、予期以上に広く、多数の資料が公開されていました。
資料群中、特に病院の原点である母上の川嶌歯科医院資料が強く印象づけられました。最晩年のミツヱ先生にお会いし、著書、折々の川嶌先生のお話しで十分承知しているはずでしたが、実物の重みは格別でした。また、東洋女子歯科医専に多数のパネルを要して丁寧な解説を付して下さっていたことはとても嬉しく、ありがたく思いました。
教職でありながら軍人として斃れたご尊父の資料にも胸を打たれます。
個々の資料が写り込まない一点に留め、ミュージアムの写真を添えます。
前夜遅くとミュージアム見学中は雨が降りましたが、屋外にいる間は幸い降雨に至らず、午後には次第に回復してきました。
その後、城下の寺町にある医学者・田原淳(たはらすなお 1873~1952)の碑を見学しました。田原淳は独マールブルク大学における研究で心臓刺激伝導系の存在を明らかにし、心臓ペースメーカーの父とも称されます。この業績は北里柴三郎と同様、現代であればノーベル賞級とも言われます。当地では田原淳の生涯を映画化する運びとのこと、昨夜も関係の方々が熱く語っておられたことが印象的でした。
熊本地震でご家族が被災され、応援のためお帰りになられたもう一方の講演者、大分大学名誉教授・島田達生先生の演題は「田原淳の大発見が解剖学・心臓学の歴史を変えた ~ガレノスから田原淳まで~」でした。
再訪の中津城天主一角の蘭学史コーナーは、前回訪問時から展示内容が差し替えられていることが窺われ、先生のあくなき探究心と郷土愛が伝わりました。
今回の訪問は歯科医学会総会の福岡開催がきっかけでしたが、一方そのため23(土)の医学史講演などメインの行事には貢献できず、一方的に川嶌先生のお世話になるばかりでした。先生のご厚意に深く感謝いたします。
なお、第23回日本歯科医学会総会で発表したポスターは、川嶌先生のご厚意により川嶌メモリアルミュージアムで2017年1月末まで掲示されています。