2015年度前期展「日本初の歯科衛生士学校 東洋女子歯科厚生学校」

東洋女子歯科厚生学校の教員とその生徒ら
1950(昭和25)年2月9日

会場  東洋学園大学本郷キャンパス4号館6階 東洋学園史料室
会期  2015年5月11日(月)~10月30日(金)
時間  月~金(平日) 9時30分~16時30分
祝日の開館 7月20日(月)・10月12日(月)
夏季事務閉鎖による閉館 8月10日(月)~18日(火)

*観覧、解説書(本文28ページ)とも無料
*展示の内容、公開日は変更する場合があります。

本学は1950(昭和25)年以来、文系教育機関として歩んでいますが、同年になぜ、歯科の旧制専門学校が英語の短期大学となったのか、以前は明確な説明をしていませんでした。経済、人口、進学率とも右肩上がりの時代にその必要はなく、アカウンタビリティを求められることもありませんでした。

現代は縮小する市場を巡って大学間の生き残り競争が激しさを増し、大学は建学の理念、すなわち世にその学校が存在する根拠を明確に示さなければなりません。本学が文系大学として存在する正統性を主張するのであれば、理系教育から転換した理由と経緯を明らかにすることが必要です。

占領期の学制改革・医療改革が本学に何をもたらし、本学はどう対応し、その間、何が起こったのか。当室では過去3回に亘り調査の結果を公開しました。

2011年 東洋女子短期大学の誕生 ―第二の創立者 宇田愛とブラックマー・ホーム
2012年 最後の旧制高校、東洋高等学校 ―教養教育への挑戦
2013年 習志野原の東洋学園 1946~1950 ―“東洋医科歯科大学津田沼キャンパス”の理想

この過程で最後に残ったのが東洋女子歯科厚生学校でした。1回生限りでの閉校は特設旧制高校と同様、規模はさらに小さく(卒業19名)、傍流の各種学校であり、これも忘れ去られた存在でした。しかし、1949(昭和24)年5月に開校した日本最初の衛生士学校卒業生として、卒業生たちは歯科衛生士の全国組織を実現し、日本歯科衛生士会会長も輩出しています。
 19名の卒業生はフロンティアの使命を自覚してよくその役割を果たし、歯科衛生士発展の一粒の種となりました。史実を顧みれば、1年余の命脈だった東洋女子歯科厚生学校の理想は、卒業生の活動によって現代に生かされていると思います。

今日、口腔衛生に大きな役割を果たす歯科衛生士の制度ができたのも占領期です。戦後70年にあたる今年、理系終末期の本学が黎明の衛生士教育に携わった事実、並びにその卒業生の活躍を知っていただければ幸いです。

なお、1963年に東洋女子歯科医専13回生(1938年卒)が独力でアポロ歯科衛生士専門学校を創設し、今日に及んでいます。ゆかりのある衛生士学校として、同校の創立と創立者にも触れます。

*戦後の起点をどこに置くかは諸説あります。

東洋女子歯科厚生学校で使用したデンタルボックス
上写真と併せ藤平(旧姓:齋藤)未知子様所蔵、藤平弘子様寄贈