月報Monthly report

2015年度

2016年2月6日

故・馬渡一得校長・学長所蔵写真と『昭和十四年度 東洋女子歯科医学専門学校出身者名簿』の撮影。

馬渡一得(1894~1974)は医師(東京帝国大学医学部)、鉄道省官僚(同省名古屋鉄道病院長など)、東洋学園創立者宇田尚長女の夫、旧制東洋女子歯科医学専門学校長(1946~50)、旧制東洋高等学校長(1947~50兼任)、新制東洋女子短期大学学長(1950~56)を歴任しました。

2015年8月6日、宇田家から馬渡一得所蔵アルバムの寄託がありました。本学在任中の写真を中心に48点あり、未発見写真や既存写真より状態の良いものが多数あります。

1970~80年代と思われますが、保護フィルムでカバーするタイプのアルバムに張り替えられています。相当の厚みがあり、波打った保護フィルムも反射してスキャンが難しく、乾燥した冬の晴天日を選び手持ちカメラで撮影を行いました。当座の使用にあてるためで、精度の高いスキャンは後日に試みたいと思います。

この際、12月12日に入手した『昭和十四年度 東洋女子歯科医学専門学校出身者名簿』も記録のため表紙、扉、奥付などを撮影しました。

「習志野にて」のキャプションがあります。1948(昭和23)年10月、女歯医専全校で校舎裏手の旧陸軍演習場へピクニックに行った際と思われます。馬渡校長時代の前半は旧陸軍施設の津田沼校舎時代です。
保護フィルムが反射しないように撮ろうとすれば写真に正対できず、ご覧のように歪みが出てしまいました。それでも若干の反射は免れません(画面上の白っぽい部分)。保護フィルムを剥がせば(横縞の入った)台紙全面に糊が塗布されているので、スキャナーにかけることも写真を取り外すこともできません。このタイプのアルバムは厄介です。
2007年に日本歯科大学新潟生命歯学部「医の博物館」の樋口輝雄先生がご提供下さったJournal of Dental Education Vol.12(1948)に掲載された写真と同じもの。「N.MIYAJIMA」(宮島)のエンボスがあり、撮影した(と思われる)写真館でプリントした上質なものです。
宮島は戦前の東洋女歯医専時代からよく利用した写真館です。小石川区(現文京区)音羽にありました。