2009年度
2009年度 9月
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2009年8月31日~9月2日史料室内外の改装とミニ企画展準備2
先月31日記事で報告した史料室内外装及び屋外展示の続報です。
1)史料室外廊下(ドア化粧、掲示板、腰板、ロールスクリーン設置)
2)史料室内(企画展用展示ケース1台、他展示用具追加、企画展パネル製作、既存パネル文言修正)
3)屋外(東洋女子短期大学「TWCシンボル」修復・移設、東洋女子歯科医学専門学校碑と共通の解説板を設置、4号館入り口にサイン設置)
以上、9月2日に完了しました。
ミニ企画展「東洋女子歯科医学専門学校と元帥東郷平八郎」は本年度末までの公開です。
2009年9月2日東洋大学「博物館実習」履修学生の見学
東洋大学の学芸員資格課程「博物館実習」履修学生の見学がありました。どれほど役立てるか分りませんが、学芸員を目指す若い方たちに少しでも参考になれば幸いです。実習担当者の同大井上円了記念博物館学芸員の北田建二氏は、昨年度まで勤務されていた文京ふるさと歴史館(文京区)以来のご縁です。
常設展示、収蔵スペースと隣接する教室、屋外展示物を用い、展示物、展示技法、保存、予算等について解説、質疑応答を行いました。東洋大学の皆さん、お疲れ様でした。
2009年9月7~11日文化財保存修復実習
早稲田大学文学学術院文学部学芸員資格課程「文化財保存修復」(要件外科目)の実習に通いました。資格要件単位は昨年度までに修得済みですが、槃澗学寮(はんかんがくりょう)や学内にある創立者資料の掛幅、手鑑など和紙を用いた伝統工芸品の構造を理解し、保存に役立てるため履修しました。裏打ちを繰り返して掛幅と風炉先屏風を製作する過程で構造、技法(製作、修復)を学びました。
虫食い状にした絹本の繕い。上の左から二番目が筆者の作業したものですが、継ぎ目も繊維の線もぴったり。我ながら会心の出来と思うのですが・・・?
2009年9月18日学会
日本歯科医史学会第378回例会出席。
詳細は下記をご参照下さい。http://www.jsdh.org/blog/2009/09/378.html
2009年9月25日資料受け入れ
人文学部柴鉄也教授(学長補佐)のご仲介で、流山市立北部地域図書館指定管理者NPO法人ながれやま栞理事の近江哲史氏より、益田定宏氏(故人)自伝『我が道を行く』(複写)を頂戴しました。
益田氏は戦前、本学創立者の宇田尚先生が経営する日東印刷株式会社に勤務されていたそうです。本学近傍の真砂町にあった日東印刷は、本学同様1945年4月13~14日の空襲で破壊され、再起することなく消滅しました。戦後、宇田尚先生が東洋女子歯科医学専門学校の復興に専念したからで、日東印刷に関する資料はほとんど残っていません。今日、学園の関連会社である日東商事の社名にその名残を残すのみです。
宇田尚先生は教育者、東洋思想研究者の他、企業家の顔も持っていました。企業家として得た財産を惜しみなく女子教育に注ぎ、前身校明華女歯が成し得なかった文部大臣指定校認可(卒業生無試験開業の特典)を得たのでした。印刷業経営は「文章報国」の信念によるものと伝えられています。
益田氏は入職後、社内に存在した夜間学校、日東専修学院で学んでいます。同校は本資料が初出です。氏の回想によれば学費、寮費、食費一切不要、その上に小遣いまで出たとのことで、宇田尚先生が従業員教育にも熱心だったことを物語っています。
「取引先には有斐閣、厳松堂、明治書院など出版界の老舗が多く、社会科学系、人文科学系の専門書や教科書では定評があった。(略)毎日、自転車で東京大学をはじめ各大学の研究室や出版社を回った」など、日東印刷の実像を物語る証言の数々が散りばめられています。
宇田尚先生はいわゆる日本主義に拠っていたので、それが原因の一つとなって戦後は表舞台から遠ざかり、また業績もまとめられなかった理由となりました。しかし、本書には日東印刷が美濃部達吉著書の印刷を多数手がけており、発禁となった『逐条憲法精義』の紙型が官憲に押収されるなど、天皇機関説事件が同社にも翳を落とし、宇田社長が成り行きを心配していた(であろう)という記述がありました。これは先生を単なる観念右翼として片付けることを退ける、貴重な証言です。
財団法人東洋女歯の協議員である井田磐楠(いだいわくす 男爵、貴族院議員)は日露戦争旅順要塞攻城戦の際に宇田尚先生の上官となり、以来刎頚の友として東洋女歯創立以来の法人役員でした。貴族院では貴衆両院有志懇談会を結成し、美濃部学説攻撃の先頭に立っています。本書からは、宇田尚先生が同志と美濃部達吉の板挟みの立場だったことを窺えます。
2009年9月30日文京ミューズネット全体会議
文京ミューズネット(ミュージアムネットワーク)全体会議に出席(於文京区役所シビックセンター)。議題:新規加入団体(本学含む)の見学会、ミューズネットマップ、秋のイベントなど。
2009年9月30日『不毛地帯』放映に寄せて
来月よりフジテレビ開局50周年記念ドラマ『不毛地帯』(原作:山崎豊子)が放映されることから、原作と本学のかかわりを記します。『不毛地帯』の主人公は元大本営陸軍部作戦参謀、戦後は伊藤忠商事会長などを務めた故・瀬島龍三氏がモデルと言われています。
写真は本学の故・黒澤嘉幸(在職1959~2003年 短大事務部長、東洋文化学院長、法人常任理事、法人顧問)のソ連抑留体験を下敷きにした小説『禿鷹よ、心して舞え』です。推薦の帯が示すように、黒澤嘉幸と瀬島龍三氏の交流は抑留時代まで遡ります。
『東洋学園八十年の歩み』では本書を紹介しました(2007年 P.248~249)。この機会に転載して紹介し、瀬島氏を象徴とする多くの無名抑留被害者が存在したことを知っていただきたいと思います(前半及び引用箇所一部略)。
「このシベリア抑留体験は、小説『不毛地帯』を執筆中の作家山崎豊子氏に提供された。世に問う意図を持って出版社に預けた原稿であったが、(黒澤)氏は山崎氏への提供を快諾した。当時、山崎氏は月一回ほど本郷校舎に赴き、黒澤氏と執筆打ち合わせを重ねた。『不毛地帯』の主人公(モデルは瀬島龍三氏と言われている)抑留中の描写は、黒澤氏の体験に拠っている。瀬島氏は抑留中、黒澤氏と辛苦を共にしたことから帰国後も交流が続き、平成15年(2003)年11月5日、霊南坂教会におけるお別れの前夜式では瀬島氏が代表して弔辞を捧げた。」
『禿鷹よ、心して舞え』黒澤嘉幸 彩流社 2000年3月
カバー装丁の絵は著者による油彩画。旺玄会に所属し、個展開催の実績もあります。