2009年度
2009年度 12月
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2009年12月3日研究会
第68回全国大学史資料協議会東日本部会研究会に出席(横浜市 波止場会館大会議室・横浜開港資料館)。
詳細は下記をご参照下さい。http://www.universityarchives.jp/index.php?page=2009/11/post_29.html
2009年12月9日文京ミューズフェスタ2009
文京区・文の京ミュージアムネットワーク(文京ミューズネット)主催のイベント「文京ミューズフェスタ2009」が、文京区役所シビックセンター1階”ギャラリーシビック”で開催されました。昨年、当史料室は歯科医専時代と短大初期の教科書を展示しましたが、今回はポスターでの参加です。内容は現在公開中の「東洋女子歯科医学専門学校と元帥・東郷平八郎」のパネルを再出力したものです。
1日だけの開催ですが、昨年実績を大幅に上回る710名の方にご覧戴きました。
文京区
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_academy_bunka_muse.html
会場の様子。柔道資料館(講道館)出展のオリンピック金メダル、日本サッカーミュージアムのワールドカップ試合球が人目を引いています。体験型コーナーも人気でした。
本学のポスターをお読み下さる方。今回は学内のプリンターで出力しましたが、来年もポスターにする場合はより質感を上げたいと思います。
2009年12月9日他大学の来室
大学史に関する展示設置の参考のため、武蔵野美術大学大学史史料室の方2名のご来室、見学がありました。
2009年12月11日お客様
大分県中津市在住の東洋女歯6回生(1931年卒)・川嶌ミツエ先生のご子息である川嶌眞人先生のご来室がありました。川嶌先生は医療法人玄真堂理事長・川嶌整形外科病院院長・東京医科歯科大学臨床教授・日本医史学会理事など、研究、臨床、地域貢献など多方面にご活躍されています。当日は学校法人東洋学園理事長江澤雄一、東洋学園大学学長一ノ渡尚道と懇談の後、史料室の展示をご観覧下さいました。
なお、両川嶌先生については、2009年6月23日及び7月28日の記事も併せてご参照下さい。
2009年12月14日他大学の来室
大学史に関する展示設置の参考のため、実践女子大学文学部博物館学芸員課程・実践女子学園香雪記念資料館の方1名のご来室、見学がありました。
2009年12月17日資料調査
国立国会図書館で大正期新聞資料について資料調査を行いました。
2009年12月19日建築家・今井兼次展
本学のフェニックス・モザイク(1961年)をデザイン、制作指導した建築家(早稲田大学理工学部教授・芸術院会員等)故・今井兼次先生に関するシリーズ企画展「建築家 今井兼次の世界Ⅲ 祈りの造形」が、多摩美術大学美術館で12月2日から23日までの間に開催されました。2005年、2007年に続く今回が第三回目となります。
展示を企画した今井兼次共同研究会の会員で今井兼次先生のご子息、建築家の今井謙介先生より招待状をいただきました。今井謙介先生には平素より大変お世話になっています。
今回は「祈りの造形」のサブタイトルが示すように、今井兼次の手がけた教会建築に関する資料が公開されました。白眉は代表作の一つ、長崎の日本26聖人殉教記念館(1963年日本建築学会作品賞)に関する展示です。大成建設が記録したカラー映画も公開され、陶片モザイク壁画には「フェニックス・モザイク」の名称が用いられていたのが印象的でした。陶器に線を引き、線に沿って慎重に砕き、足場を組んで張っていく職人、声を枯らして指示を出す今井先生、想像が実写となった瞬間でした。
今井兼次先生は多作な方ではないとされていますが、本学の作品を念頭において展示を見ていると、日本26聖人殉教記念館や他の教会建築の設計が重なって進行しており、お仕事に対する熱意と才能に圧倒されます。
日本26聖人殉教記念の壁画については、2009年11月6日の記事もご参照下さい。
「今井兼次の建築作品とキリスト教精神は、生涯を貫くライトモチーフとして、今井兼次を解き明かす本質的なテーマでもあるといえるでしょう」(『建築家 今井兼次の世界Ⅲ 図録』より)
キリスト教と本学の関わりについては、2009年10月30日の記事をご参照下さい。
多摩美術大学美術館
http://www.tamabi.ac.jp/museum/exhibition/091202.htm
2009年12月22日史資料の受け入れ
和久本歯科医院(文京区本郷3丁目)の和久本雅彦院長より、祖母である故・和久本文枝先生がご使用された往診セットをご寄贈いただきました。
アルマイト製のケース、形状などから、昭和20年代のものようです。本郷界隈には医療・歯科医療機器メーカーが密集しており、この往診セットも地元メーカーに特注したものだそうです。
ケースを開くと、各種器具が今も使えそうなコンディションで保存されています。和久本文枝先生は1982年に亡くなりましたが、その後も大切に扱われていたことが窺われます。
歯科医学史を語る資料として、また連綿と続く歯科医師・研究者としての家族史の証しです。快くお譲り下さった和久本雅彦先生に深く感謝いたします。これらの器具には新たに、「大学史としての意味」も加えられることになります。
和久本文枝先生は東洋女子歯科医学専門学校3回生で、同校教授でした。詳しくは2008年5月22日、及び2009年5月15日の記事をご参照下さい
和久本歯科医院
http://www.wakumoto-dc.jp/
ケース外形。
展開した状態。
いずれ近い内に何らかの形で公開いたします。