2017年度
2018年1月31日
元帥海軍大将東郷平八郎のものと伝わる総義歯の比較調査(第1回 於:東郷神社)。
2016年4月、東郷神社に元帥海軍大将東郷平八郎(1848~1934)の「歯型」が奉納されたという情報を、同年秋に保坂義雄先生(医療法人社団葵会柏たなか病院透析センター長、日本医史学会など)よりいただきました。夫人の保坂宗子様は東郷平八郎元帥のご曽孫です。
当室は2009年5月に元帥のものと伝わる総義歯を寄託されて以降、以下のように報告、公開を行ってきました。
この総義歯は旧制東洋女子歯科医学専門学校の代表的教員であり、長く付属医院の院長を務め、本校廃止後は日本歯科医師会会長(社団法人化後第2代)を務めた入交直重(1887~1960)が所蔵し、入交家・入交歯科医院に伝えられてきたものです。
この総義歯は入交先生が元帥の歯科治療にあたる以前の歯科医師が作成したものと口承されてきました。これはあまり合わなかったとされ、入交先生に交代して新たに製作したものが良くフィットし、喜ばれた元帥による揮毫が同家に現存します。
総義歯作製に至る治療の概要(口承)、元帥専用のうがいコップも伝わりますが、入交先生が作られたものは現存しません。元帥が亡くなった際、海軍当局に下げ渡しを願い出て不許可と伝わります。総義歯に付帯する情報は口承と傍証であり、客観性を高めることが課題でした。
東郷神社への(模型と思われる)「歯型」奉納は、未知の歯科医師のご子孫によるものだそうです。その方が入交先生以前の元帥の歯科主治医だったのでしょうか。総義歯と「歯型」を照合すれば多くの知見が得られるはずです。
近年、直重先生ご子息の入交重道先生はご体調が優れず、一度延長した寄託期間後について保留されたまま2016年9月に逝去されました。懸案が動き出したことからご遺族に照会し、上記15日付で報告の通り、あらためてご寄贈いただくことになりました。
ご遺族並びに入交直重先生、重道先生の御霊に御礼申し上げます。
両者の比較調査には歯科の先生のご協力が不可欠です。そこで日本歯科医史学会の大野粛英先生(2009年4月23日)(大野矯正クリニック理事長、神奈川県歯科医師会歯の博物館館長)にお願いし、ご快諾いただきました。
大野先生は2013年に「乃木希典大将の義歯と上顎石膏模型の100年後の出会い」を報告(大野粛英・羽坂勇司・齋藤眞旦・高橋滋樹、第114会日本医史学会・第41回日本歯科医史学会合同)、昨年は「『乃木希典日記』に記された歯科治療歴 ―乃木将軍の4回の休職理由との関係について―」(大野・羽坂・齋藤『日本歯科医史学会々誌』32(1) 2017年)で、陸軍大将乃木希典の総義歯を巡りご考察を発表されています。
1月31日(水)午後2時、原宿の東郷会館で保坂先生ご夫妻と大野先生をお引き合わせの上、打ち合わせを行い、15時より神社に移り、権禰宜・関秀充様が奉納品の「歯型」を運ばれてくるのを待ちました。
私たちは「歯型」の名称から歯型を取った石膏模型を予想していたのですが、運ばれてきたものは展示を前提とした木枠のガラスケースに納められた「総義歯」でした。奉納に歯科医療従事者が関わらなかったので、実態とそれを示す名詞にずれが生じていました。
これで東郷元帥の総義歯は二つ発見されました。
ここでは概要に留めますが、特徴的なゴム床の質感が既存の総義歯とよく似ています。ケースの形こそ違え、入交先生、小原(と仰る)先生とも、人に見せる前提で恭しくガラスケースに納めてあった点からも共通する印象を受けました。
この総義歯は上下別で木製ケース底部にネジで固定されていました。神社の了解を得てケースから取り外しましたが、ネジは義歯本体を貫き、さらに蝋のような接着剤を盛って固定しているため、大野先生は印象採得に苦心されました。
今日の作業により、神社蔵総義歯の上顎(上・下)、下顎(上・下)、計4点の石膏模型ができました。
一方の当室蔵旧入交家の義歯も、展示のため上下咬合面を何らかの接着剤で固定してあり、このままでは作業できません。大野先生のご助言を得て、当室で次回調査までに上下分離します。
次回調査・作業は2月7日です。