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壁画との60年前ぶりの再会。フェニックス・モザイク制作スタッフの竹内成志氏が来学
2021.12.13
11/19(金)、フェニックス・モザイクの制作に携わった竹内成志氏が来学されました。

左から3人目が竹内氏
竹内氏は1960~61(昭和35~36)年、早稲田大学大学院工学研究科・大学理工学部教授だった建築家・今井兼次の助手として本学フェニックス・モザイクの制作に携わり、現存する「岩間がくれの菫花」の銘「1961 IMAI TT」に頭文字Tを刻まれている方です。

制作者を記した「IMAI TT」
完成後、今日まで竹内氏は本学を訪れることなく、本学もまた、竹内氏のご消息を存じ得ませんでしたが、壁画完成60年を機に、竹内氏ご自身は本学フェニックス・モザイクと、本学は竹内氏と再会することができました。

竹内氏が持参されたアルバムには壁画制作当時の写真が。
竹内氏は1932(昭和7)年生まれ。1957年に多摩美術大学図案科を卒業し、同年より今井兼次の助手として本学作品のほか大阪本町ビル陶片モザイク壁画「糸車の幻想」(現 大阪商工信用金庫本店ビル)、日本二十六聖人殉教記念館(長崎)、桃華楽堂(皇居 香淳皇后還暦記念音楽ホール)のフェニックス・モザイクシリーズをはじめ、今井兼次作品の建築装飾に携わりました。
1979年からは多摩美術大学デザイン科で教鞭をとる一方、ご自身の作品を発表してこられました。
「本学には前後の記録があるものの、制作中の記録が一切残っていませんでした。今回の展示でも触れることができず残念ですが、多忙な今井兼次先生のご指示に従い、その意を全うすべく現場でタイル職人と一緒に制作実施に励んだ竹内氏のご記憶と所蔵写真は、これを埋めて余りあるものがありました。」と史料室担当者。
今井兼次との出会い、銘「TT」のもう一方のT、同窓生で洋画家の田中昇氏(1934-1982)と分担してタイル職人を指揮した現場作業の実相、機微、材料のタイル、陶器について等々、制作当時のお話をいろいろ語っていただき、得難い貴重な機会となりました。

「本学フェニックス・モザイクは竹内氏にとって若き日の思い出深い記念碑であることが、お言葉の端々から感じられました。
竹内氏は『完成当時、辺りを圧する巨大な陶壁と思えたものが、校舎を含めた周囲の高層化によりかえって威圧感のない周辺環境になじんだ落ち着き、暖かさが感じられ都市の一景観となっている。相対的に新たな印象を受けました』とおっしゃっていました。
この間に日本は経済大国になりましたが、建築を含む産業遺産・技術遺産の保存・継承は欧米先進諸国に遠く及びません。本学は5作あった陶片モザイク壁画のうち屋上などにあった4作品を失い、「岩間がくれの菫花」のみ継承しましたが、歳月を重ねるほどに作品の魅力は増しています。本物のみが持つ力であり、本物は残るべくして残るとも言えますが、今井兼次をはじめ竹内氏ら制作に精魂を傾けられた方々、永遠のシンボルを残そうと陶器を持ち寄った学生、校友らの思いを継承し、大切に後世へ伝えたいと思います。」(史料室担当者)
本学は今後も、今井兼次が命名した「フェニックス・モザイク」の意味(不死鳥)を語り継いでいきます。

貴重なお話、資料をお寄せいただいた竹内成志氏に感謝いたします。
また、今井兼次先生ご子息の今井兼介氏が貴重な構想スケッチをお借し下ったことで、竹内氏とのご縁が繋がりました。心より御礼申し上げます。