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パラスポーツを通じて、これからの社会を考える(前編)

2021.11.22

TOGAKUスポーツ,キャンパスライフ

異例の一年延期・無観客開催(学校連携観戦を除く)となりながら、大きな注目を集めて閉幕した東京2020パラリンピック。 東洋学園大学には公認団体の「TOGAKUパラスポーツ」があり、3名の車いす選手がボッチャなどの大会出場やパラスポーツの普及活動に取り組んでいます。パラスポーツの当事者である部員たちが見た東京パラリンピック、彼らだからこそ感じたことや考えたことについて話を聞きました。

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「TOGAKUパラスポーツ」とは

「TOGAKUパラスポーツ」は、ボッチャなどのパラスポーツ※を行うサークルとして2018年7月に誕生しました。発起人はそれまでにも多くのパラスポーツを体験してきた、チャレンジ精神あふれる初代部長の木村駿汰さん(当時人間科学部4年)。
大学公認のパラスポーツ団体は極めて珍しく、東日本では初のケースでした。その後サークルからクラブに昇格し、現在は顧問である澁谷智久教授のもと、部長の橋本昂典さん(人間科学部4年)、書記の春原祐弥さん(現代経営学部4年)が所属しています。

写真左から春原さん、橋本さん、木村さん

誕生から1年後の2019年7月には東京都障害者スポーツ大会のボッチャ競技で、初出場ながら見事17チーム中3位に入賞しました。
また、学園祭やオープンキャンパスでのボッチャ体験コーナーの運営、学外でもボッチャおよびパラスポーツのイベントに参加するなど、普及活動にも積極的に取り組んでいます。

2019年に秋葉原で行われた東京都主催のパラスポーツイベント

「TOGAKUパラスポーツ」が力を入れる「ボッチャ」は、イタリア語で「ボール」を意味し、ヨーロッパで生まれたパラスポーツ独自の競技です。赤と青それぞれ6球ずつのボールを投げたり転がしたりして、的となる白い球(ジャックボール)にどれだけ多くを近づけるかで得点を競います。
老若男女だれもが障がいのあるなしに関わらず楽しめるとともに、技術だけでなく戦略も重要となる奥の深いスポーツです。

東京パラリンピックの閉幕後、橋本さんと春原さんに加えて卒業生の木村さんに集まってもらい、話を聞きました。

東京2020パラリンピックを振り返る木村さんと橋本さん

※パラスポーツ:障がいのある人のために考案されたスポーツで、陸上や車いすテニス、シッティングバレーボールのように既存のスポーツを障がい者に合わせて修正したものから、ボッチャやゴールボールなど独自に考案されたものまで、さまざまな競技がある。

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国枝選手から高齢アスリートまで

新型コロナウイルスの感染拡大により、開催を不安視する声もあった東京パラリンピック。
しかし、いざ幕を開けると、世界中から集まったトップアスリートが熱い戦いを繰り広げ、地元開催で力を得た日本選手の活躍も連日ニュースをにぎわせました。そこで「TOGAKUパラスポーツ」の部員たちに、印象に残った選手や試合、心を動かされたシーンをたずねました。

圧倒的なパフォーマンスで3度目のパラリンピック・チャンピオンに輝いた車いすテニスの国枝慎吾選手。一度は引退を考えながらも諦めずに競技を続け、銀メダル獲得の原動力となった車いすバスケットボールの鳥海連志選手。そして、日本が強豪イギリスに惜しくも敗れた車いすラグビーの準決勝など、さまざまな選手やシーンが挙がりました。

木村さんは高校時代、テニスイベントで国枝慎吾選手とも交流

ボッチャは3人とも注目しており、木村さんは「自分と比べると凄すぎて、とうてい追いつけない技術だった」と語り、春原さんは日本勢初の金メダルを獲得した杉村英孝選手の必殺技「スギムライジング※」に魅了されたとのこと。ちなみに自身の「スノハライジング」はまだ決めたことがないそうです。

ボッチャは東京2020パラリンピックで最も注目を浴びた競技のひとつ

一部で賛否もあった開会式の演出についても、橋本さんは「僕はいいと思った、共感できるところがあった」と好印象。
また、木村さんはパラアスリートの年齢にも着目し、日本選手団最年長の66歳で8位入賞したマラソンの西島美保子選手などの活躍を見て、「パラスポーツは歳をとってもできる競技がある」と生涯スポーツの可能性も感じたようです。

第二次世界大戦で負傷した兵士のために開催された大会が起源というパラリンピック。現在ではオリンピックとサッカーワールドカップに次ぐ世界で3番目に大きなスポーツイベントとなり、プロとして活躍する人気アスリートも出てきました。今回の東京パラリンピックも人々の心を動かし、パラスポーツに目を向けるきっかけになったのではないでしょうか。

※スギムライジング:密集したボールの上に自分のボールを乗り上げる、杉村選手の必殺技。東京パラリンピックのボッチャ個人決勝でも見事にこの技を決めた。

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パラスポーツ当事者として感じたこと

「TOGAKUパラスポーツ」の3人はいずれも車いす使用者で、パラスポーツに取り組む当事者でもあります。そこで東京パラリンピックに対する健常者の受け止め方、メディアや世の中一般の反応についてどう感じたか、という質問をしてみました。

春原さんが「オリンピックとパラリンピック、どちらも世界最高峰の大会として見てくれた印象。偏った見方やメディアの意図的な演出も感じなかった」と話したように、3人ともおおむね好印象でした。また、「大会の直後だからかもしれないが、エレベーターでボタンを押してくれたり、車いすの移動をサポートしてくれる人が増えた気がする」と、生活の身近なところで変化を感じたという声もありました。

パラリンピックに対する世の中の反応を語る春原さん

木村さんは将来的な希望として、オリンピックとパラリンピックの壁を取り払い、一緒に戦う競技ができたらいいと思ったそうです。障がいはその人の個性ととらえ、健常者と障がい者がともに競い合うスポーツというのは、多様性を認める社会を象徴するものかもしれません。

そして、パラスポーツの普及イベントに数多く参加している3人は、東京パラリンピックがもたらす効果にも注目していました。ボッチャ日本代表の試合中は一投ごとに数十件の投稿がSNSに上がり、ボッチャをやってみたいという声も目につきました。橋本さんは試合の数日後には小学校でボッチャボールセットの購入が相次ぐというニュースを見て、反響の大きさに驚いたそうです。これを機にパラスポーツの裾野が広がり、もっと多くの人が楽しんでくれるようになったらと話してくれました。

パラリンピック後、橋本さんがスポーツボランティアとして参加したボッチャ体験会も大盛況

さらに、木村さんは東京都文京区のボランティアとして、同区がホストタウンを務めた難民選手団のイベントに参加しました。さまざまな困難により故郷を追われたアフガニスタン/シリア/イラン/ブルンジ出身6選手のサポート活動に携わり、「紛争や内戦がある国の人々に、スポーツは希望を与えられる」と実感したそうです。

スポーツをすること。スポーツを見ること。そして、スポーツを通じて、人と人とがつながること。そこにある大きな力や可能性を感じた東京2020パラリンピックだったようです。